富士山6合目に7歳児を置き去り。「教育」ではなく、ただの想像力欠如だ

august.22nd sat. 2026

ニュースで富士山6合目に7歳の子どもを置き去りにして、自分だけ7合目まで登っていった父親が保護されたという記事を見た。

「疲れた」「本当に置いていくぞ」親子で口論か 富士山6合目に7歳息子を置き去り

7歳といえば小一くらいかな? まぁ、置き去りにしてもすぐに戻るよなぁ。精神年齢がこの子並みなのかも。

スタッフに発見されたとき、父親は「ここで見つかったか」みたいな反応だったらしいが、本当に呆れて言葉も出ない。7歳といえば小学1年生か2年生くらい。大人だって息が上がる標高2,500m超えの登山道で、動けなくなった我が子を置いて先に進むなんて、正気の沙汰じゃない。

日常の「置いていくよ!」を極限状態の山でやる愚かさ

親なら一度くらいは「言うことを聞かないなら置いていくよ!」と脅した経験があるかもしれない。だが、それだって「数メートル歩いて振り返り、子どもが慌ててついてくるのを確認してすぐ戻る」のが前提の話だ。

今回の父親は、6合目から7合目まで(歩けば30分〜1時間近くかかる標高差)自分だけスイスイ登り続けていたという。

きっと日常のイライラした感覚のまま、「脅せば泣きながら追ってくるだろう」と浅はかに思い込んでいたのだろう。自分の感情をコントロールできず、感情任せに突き進んでしまうあたり、体だけ大人で「精神年齢は子ども並み」と言われても言い逃れできない。

欠落しているのは「親としての想像力」

富士山の6合目〜7合目なんて、下界とはまったく別世界だ。 風が吹けば体感温度は一気に下がるし、一歩踏み外せば崖下に滑落する危険と隣り合わせ。そんな場所に一人取り残された7歳の子どもが、どれだけの恐怖と絶望感を味わったか。

  • もしパニックになって道に迷ったら?

  • 暗くなって気温が急低下したら?

  • 足を滑らせて崖下に落ちたら?

ほんの少し「最悪の事態」を想像する力があれば、我が子を置き去りにして先に登るなんて絶対にできるはずがない。

富士山の山小屋

今回は奇跡的に山小屋のスタッフや周囲の大人に保護されたから命に別条はなかったが、一歩間違えればニュースのタイトルが「遭難事故」に変わっていたはずだ。

「言うことを聞かせるためのしつけ」という都合のいい言い訳の裏にあるのは、ただの親の身勝手と圧倒的な想像力の欠如。富士山の荒涼とした景色の中で一人取り残された子どもの気持ちを思うと、怒りを通り越して悲しくなってくる。

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