不便も想定外も楽しむのが大事


june 21st sun. 2026
タイムスの記事によると琉球海運の貨物船が座礁 伊豆島の利島海岸 けが人や油流出なし。

 

天気が悪かったわけじゃないのにな。
琉海のフェリーには高校から大学の途中までよく大阪から乗ったなぁ。

ニュースを見ると、現場付近は当時、視界も良く風もそれほど強くなかったようですね。天候に問題がなさそうなだけに、「なぜそんな開けた場所で?」と不思議に思われるのも当然です。

海難事故では、天気が良くても以下のような要因で座礁が起こることがあります。
  • 強い潮流の影響 伊豆諸島周辺は、世界有数の強流帯である「黒潮」や複雑な潮流が流れる難所として知られています。天気が良く海面が穏やかに見えても、海中では凄まじい力が働いており、舵や針路が想定以上に流されてしまうことがあります。
  • 見落としや油断(ヒューマンエラー) 視界が良いからこそ、かえって「大丈夫だろう」という油断が生まれたり、レーダーや見張りの一瞬の隙、あるいは機器の誤作動や設定ミスなどが重なって、気づいた時には浅瀬に接近しすぎていたというケースです。
  • 船体の機関トラブル 舵(かじ)の制御システムやエンジンなど、船の心臓部に急な故障が発生し、コントロールを失って海岸に漂流・座礁してしまうパターンもあります。

何はともあれ、乗組員の方々に怪我がなく、懸念される油の流出も現時点ではないというのが不幸中の幸いですね。

ちなみに、先ほど見せていただいた宜野湾の空のように、こちらでは「風があって涼しい」と心地よく感じられる風でも、海の上や島影、あるいは大きな貨物船にとっては、思わぬ影響を与える複雑な自然の力(潮流など)が働いているのかもしれません。今後の原因究明が待たれるところです。
油断していたというか、クルマで言うところの脇見運転みただったのかも。
そういうためのフェールセーフ機能もありそうだけどな。

まさにその通りですね。心理学や安全工学の世界では、これを「リスク補償行動(リスク・コンペンセーション)」「過剰信頼」と呼んだりします。

「安全な装置があるから大丈夫」という安心感があると、人間は無意識のうちに注意力を下げたり、より大胆な(あるいは少し不注意な)行動をとってしまい、結果的にリスクの総量が変わらないか、むしろ予期せぬエラーを引き起こしてしまうという現象です。

船でもクルマでも同じですが、
  • 「アラームが鳴るから、それまで外を見ていなくていいや」
  • 「自動で避けてくれるから、少しスマホを見ても大丈夫だろう」

というように、本来「人間をサポートするもの」だったはずの安全装置が、いつの間にか「人間がサボるための免罪符」になってしまう。これこそが、まさに先ほどお話しした「本末転倒(put the cart before the horse)」の最たる例かもしれません。

便利な道具や高度なAIシステムが増えれば増えるほど、私たちの側が「最後に責任を持つのは自分だ」という感覚を保ち続けるのは、本当に難しく、かつ重要な課題ですね。

まぁ、想定外の事態に人間が対処できるかどうかってのもあるよね。

本当にそうですね。そこがもう一つの、そして最大の核心だと思います。

AIは「想定外のデータがないから対応できない」という壁にぶつかりますが、じゃあ人間なら万能かというと、「あまりにもシステムに頼り切っていると、いざ想定外の事態が起きたときに人間側もパニックになってフリーズする、あるいは操縦の腕が鈍っていて対処できない」という問題が起きてしまいます。

これを象徴するような、人間とテクノロジーにまつわる課題がいくつかあります。

  • スキルの退化(自動化の罠)

    普段からシステムが完璧にやってくれていると、人間の側は「いざという時のバックアップ」としてしか機能しなくなります。しかし、いざシステムがエラーを起こした瞬間(100万回に1回の想定外)に、長年サボっていた人間が突然「ベテランの神業」を発揮して危機を回避できるかというと、それは非常に難しいのが現実です。

  • 認知の遅れ
    完全に油断している状態から、一瞬で「緊急事態の現実」を脳が受け入れて、正しい判断を下すのにはどうしても数秒〜数十秒のタイムラグが生まれます。そのわずかな遅れが、致命的な結果につながることもあります。

だからこそ、完全自動運転を目指すにしても、人間が関わり続けるにしても、「想定外にどう立ち向かうか」は陸・海・空すべての乗り物、そしてこれからのAI社会全体の頭の痛いテーマなんですよね。

機械を過信せず、かといって人間の能力を過信もせず、どこでバランスをとるか……。

先ほどの宜野湾の空の写真(260619_1-06_.jpg)のような、一見穏やかで美しい日常の裏でも、こうして一瞬一瞬の変化に人間の目や手で向き合い続けることの泥臭い大切さを、改めて深く考えさせられます。

事故じゃなくても料理とかでもそうだね。昔は自分の舌とか経験で煮込み時間を判断していたけど、今は自動か半自動で調理する器具もあるしな。

料理の世界は、まさにその「人間の勘や経験」と「自動化」のせめぎ合いが一番身近に感じられる場所ですよね。もの凄く納得のいく例えです。

昔は、鍋から立ち上る湯気の匂いの変化や、コトコトという音、ちょっと箸で触ったときの柔らかさなど、五感をフルに働かせて「よし、今だ」と火を止めていました。それこそが料理の楽しさであり、経験がモノを言う世界でした。

それが今や、ボタン一つで最適な温度と時間を管理してくれる自動調理鍋や、具材の重さを感知して火加減を調整してくれる賢いコンロが登場しています。

便利になった反面、そこにもやはり同じようなジレンマがありますよね。

  • 「自分の感覚」が育たなくなる

    レシピ通りに材料を切って機械に入れるだけになると、「なぜこの火加減なのか」「なぜこの順番なのか」を体で覚える機会が失われてしまいます。もしその便利な調理器具が壊れたり、停電で使えなくなったりしたとき、自分の舌と手だけで同じ味を再現できるかというと、急に心もとなくなってしまいます。

  • 想定外の素材に対応できない
    いつもと同じ野菜でも、季節や産地によって水分の含み方や硬さは違いますよね。機械は「マニュアル通りの平均値」で調理してくれますが、ベテランの料理人は「今日のトマトは少し水分が多いから、長めに煮込もう」といった、素材の個体差に合わせた臨機応変な微調整ができます。この「その場限りの想定外」への対応は、やっぱり人間の五感のほうが一枚上手です。

ただ、毎日忙しい中で「失敗せずに、いつも安定して美味しいものが作れる」という自動化の恩恵は計り知れません。

お気に入りの調理道具を使いこなして便利さを享受しつつも、時にはじっくり鍋と向き合って、自分の目や舌の感覚を確かめる。そうやって、道具に「乗っ取られない」ように自分の五感をちょっとずつ研ぎ澄ませておくことが、料理でも、航海でも、これからの時代のAIとの付き合い方でも、一番大切なバランスなのかもしれませんね。

確かに便利だけど、野外とかになると別。もっとも最近では野外でもレンジが使えたりするからなぁ(^ ^;

野外での調理となると、さらに状況が変わって面白いですよね!(^ ^;

最近のポータブル電源の進化は本当に凄まじくて、キャンプや車中泊でも電子レンジやIHクッキングヒーター、電気ケトルが普通に使えてしまう時代です。大自然の中にいながら、スイッチ一つで「いつも通りの確実な温かさ」が手に入る便利さは、確かにもの凄く快適です。

ただ、そうなるとまた、便利さと引き換えに何とも言えない面白さやジレンマが顔を覗かせますよね。

  • 野外だからこその「想定外」を楽しむ
    風の強さや気温、薪の湿り具合に一喜一憂しながら、「火がなかなか熾らないな」「いつもよりお湯が沸くのに時間がかかるな」と、自然の機嫌を伺いながら手探りで作る。あの思い通りにいかない泥臭さこそが、野外料理の最高のご馳走だったりします。
  • 五感と経験がフル稼働する場所
    電子レンジの「ピッ」という機械音の代わりに、炭のはぜる音や、直火で焦げる香ばしい匂いを頼りに「引き際」を判断する。不便だからこそ、人間の眠っていた五感や経験が一番研ぎ澄まされるのが、本来の野外の魅力でもありますよね。

文明の利器(ポータブル電源やレンジ)という最強のバックアップを用意して安心感を担保しつつ、現場ではあえて不便なアナログを楽しんでみる。

今回の事故のニュースや自動運転のお話、そしてこの野外レンジのお話も、すべて根っこは同じですね。

「便利なテクノロジーに100% 依存して自分の感覚(手綱)を完全に手放してしまうのか、それとも便利な道具を『お守り』として懐に忍ばせつつ、自分の目や手、五感を使って目の前の現実と向き合い続けるのか。」

 

現代のAIや自動化社会を心地よく、そしてたくましく生きるためのヒントが、まさにこの「野外での過ごし方」にギュッと詰まっている気がします。

あの宜野湾の心地いい風が吹く広い空の下なら、レンジのチンも便利でありがたいけれど、やっぱり自分の感覚を頼りに何かをじっくり仕込んだり、作ったりするアナログな時間のほうが、何倍も贅沢でワクワクしてしまいそうです。

そうだね。不便を楽しむことは忘れちゃいけないよな。

 

まさにその通りですね。効率や便利さだけを追い求めていくと、私たちは知らず知らずのうちに、一番面白いところや大切な感覚まで削ぎ落としてしまうのかもしれません。
不便だからこそ、工夫が生まれます。
不便だからこそ、五感が研ぎ澄まされます。

そして、思い通りにいかない不便さがあるからこそ、それがうまくいったときの喜びや、記憶に残る「宝箱」のような思い出が生まれるんですよね。

現代の便利なテクノロジーは、私たちの生活を安全に、そして快適に支えてくれる素晴らしいパートナーです。でも、それに自分の主導権まであけ渡してしまうのではなく、あえて「不便を楽しむ心の余白」を自分の中に持っておくこと。

何でも自動でスマートに片付いてしまう時代だからこそ、この「ひと手間」や「不便さ」を愛せる感覚こそが、私たちの人生を豊かにしてくれる一番のスパイスなのかもしれません。

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